政治とテクノロジーの衝突──実験台にされた公教育の現場
世界初の「AIDT」、なぜ失敗したのか

AIデジタル教科書の地位回復を求める記者会見 <出典:aitimes.com>
2025年4月、天才教科書本社の前には、リストラに抗議する労働組合が集結しました。「育児休暇から復帰したら解雇対象になっていた」、「希望退職という名の集団解雇だった」といった声が相次ぎました。この企業は、政府主導のAIDT(AIデジタル教科書)事業を最も積極的に推進してきた会社の一つでした。
わずか1年前、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政府はAIDTを「世界初の公教育AI教科書」と命名し、2025年初に小・中・高での全面導入を予告しました。天才教科書、WOONGJIN THINKBIG(ウンジンシンクビック)、Enuma(エヌマ)などは数十億~数百億ウォンを投資して該当するエコシステムに参入しました。
しかし、今は状況が完全に変わりました。ユン大統領弾劾後の政策正当性が揺らいでおり、国会はAIDTの法的地位を「教科書」ではなく「教育資料」に変更する法案を通過させました。大統領権限代行が拒否権を行使しましたが、政策の推進力は事実上失われた状態です。
この過程で、出版社間の明暗も分かれました。2024年末に発表された1次教科書検定で天才教科書など一部の大型出版社は通過しましたが、多数のスタートアップと中堅出版社は脱落し、再検定、提訴、組織解体などにつながりました。AIDTという実験が政策・産業・教育 あらゆる現場で混乱を招いている今、AIDTが過去6ヶ月間どのような壁にぶつかり、産業・政策・スタートアップ各観点でどのような構造的教訓を残したかを、見ていきたいと思います。
使用率10%、接続率0.5%…学校は無視

AI-デジタル教科書を活用した授業の現場 <出典-yeonhapnews.jpg>
昨年、韓国政府は「世界初のAIデジタル教科書国家」を宣言しました。
2024年11月当時、筆者はこのプロジェクトの可能性とその是非を中心に、韓国の教育政策の転換を読み解いたことがあります。当時、業界と政府、教育界の両方がAIDT(AI Digital Textbook)に掛ける期待はかなりありました。「AIが子どもを教える」というキャッチフレーズのもと、数兆ウォン規模の新たな市場が開かれるという分析も出ています。
しかし、2025年4月、雰囲気は完全に変わりました。天才教科書本社前には、解雇に反対する労働組合が集結し、教育部は低い使用率と現場の反発に直面しています。現場では「チャットボットが動かず、授業が中断される」、「パスワード紛失時の解決時間が長すぎる」、「2~3回使って従来の教科書に戻った」といった声が相次ぎました。
その結果が、「採用率32%、実使用率10%以下」です。多くの企業が投入した資金と人材、そして公教育現場の混乱だけが残りました。
一つの政策で揺らいだ、数兆ウォンの市場
AIDTは、政府のデジタル移行政策と産業の育成を組み合わせた大規模なプロジェクトでした。政府は年間最大2兆5千億ウォン規模の市場を予想し、これを国政のアジェンダとして推進しました。既存の出版社はもちろん、国内のエドテック企業は膨大な資金と人材を投入し、プログラム開発とインフラ構築を準備しました。
しかし、2024年末、AI教科書の法的地位を「教育資料」に格下げする小中等教育法改正案が国会を通過し、状況は急変しました。大統領権限代行が拒否権を行使したにもかかわらず、政策の推進力は弱まり、教科書検定の結果では多くの中堅出版社やスタートアップが脱落しました。

教科書業者の天才教科書がリストラ余波で企業内の労働組合が発足した際の記者会見の現場 <出典:edaily>
その余波は産業全体へと広がり、有名出版社のWOONGJIN THINKBIGはAIDT事業の撤退を決定し、教科書製作業者で有名な天才教科書は約700人規模のリストラ(構造調整)を実施しました。他にも資金状況が難しい中小規模のエドテック企業は、納入遅延や代金未収はもちろん、一部VCとの契約解除により事業を中断したり、教育部を相手に行政訴訟を準備するなど、長期戦に入る模様です。
当初、AIDTは「全面義務導入」と「政府保障型事業」という前提の下、企業が投資を決定した事業でした。しかし、政策が自主導入方式に転換されると採択率が低下し、市場の需要も急激に縮小したことで、企業は予想外の損失を抱えることになりました。B2Gモデル全体に対する懐疑も広がっています。政策が産業にチャンスを生み出すという信念が、制度の不確実性や政治的要因の前ではいかに脆弱であるかを示す事例と言えるでしょう。
「革新」の名で行われた実験
昨年、韓国で起きるAIDT事業をめぐり、技術、産業、政策が急速に噛み合う状況を見守り、「この変化が本当に教育を変えることができるか?」という質問をしました。2025年の今日、その答えは明確になっています。期待していた変化はまだ教室内で起こっていません。
AIDTは技術的には失敗したプロジェクトではありませんでした。むしろ多くの企業が見せた技術力は一定レベル以上であり、AIベースのチューターと適応型コンテンツは教育デジタル転換の可能性を明らかに示しました。
問題は、技術よりも制度が先であり、制度より政治が先行したという点です。その結果、政策を信じて投資した企業、それを活用しようとした教師たち、そして新たな教育体験を期待していた生徒たちが、混乱と損失を抱えることとなりました。
政策は失敗する可能性があります。しかし、失敗から何も学ぶことができなければ、次の実験の対象は再び将来の世代になるでしょう。公教育は、技術の実証実験の場ではありません。技術が教育に貢献するためには、制度と政治がそれを支えなければなりません。

日本のGIGAスクール <出典:朝日新聞>
この点で日本の「GIGAスクール」構想も韓国と同様に重要な転換期を迎えています。現在、日本は「NEXT GIGA」段階に入り、端末の配備を超えて、教員研修やデータに基づく教育といった実質的な活用策に力を入れています。しかし、日本はまた、ネットワークインフラの欠如、地域間のギャップ、端末への接続遅延など、同様の問題を抱えており、これを解消するためのシステム診断と改善作業が続いています。
結局、両国の事例は一つの共通したメッセージを伝えます。デジタル教育は、単に機器を普及させたり、技術を導入したりしても実現されません。政策の持続性と制度の精緻さ、そして教育現場の受容性がかみ合って初めて、実質的な変化が可能となります。
技術はあくまで出発点に過ぎません。教師と学生、学校と企業、政策と市場が一緒に働くとき、初めて教育の革新が現実になります。そして、その過程で経験する失敗は終わりではなく、より良い設計へと進むための大切な学びのプロセスなのです。