農業AI「B·good」を作ったSnE COMPANYのチャン・セフン代表··· 米と果物のデータで日本を検証する
20年以上にわたり記者として活動し、主に政治部で取材を重ねてきた彼は、現在、衛星データを活用して作況をはじめとする農業情報を予測・分析する企業、SnE Company(エスアンドイーカンパニー)を率いている。チャン・セフン代表の経歴は、「農業」とAI(人工知能)という組み合わせと同じように、一見すると意外な組み合わせに思えるかもしれない。しかし本人は、その歩みを断絶ではなく一つの連続した流れとして捉えている。取材相手の話にじっくり耳を傾け、本質を見極めながら粘り強く掘り下げる――記者時代に培った姿勢が、そのまま起業家としての原点になっているという。
SnE COMPANYは、農業の生産・流通・品質管理・グローバル取引をデータとAI(人工知能)でつなぐアグリテック(AgTech)企業だ。チャン代表は、KAIST(カイスト)未来戦略大学院で学ぶ中で「現実の課題を技術で解決したい」と考えるようになり、ソウル新聞の社内ベンチャー育成プログラムを足がかりに、2020年に同社を設立した。
彼が着目した課題は明確だった。農業は気候や生育状況、品質、価格、輸出入など多くの要素が複雑に絡み合う産業であるにもかかわらず、現場の意思決定はいまなお経験や勘に頼る場面が少なくない。基幹産業でありながら、昔ながらの慣行が色濃く残る分野だからこそ、AIが最も大きな変革をもたらせる領域だとチャン代表は考えた。
会社が目指すのは、農業バリューチェーン全体に存在する情報の非対称性を解消することだ。生産段階では作物の生育状況や収穫量を正確に把握することが難しく、流通段階では品質や価格の評価が主観に左右されやすい。さらに、産地情報や品質保証、需給予測に関する情報が不足しがちな国際取引では、取引リスクが一層高まる。
同社のサービス「B·good」は、農産物取引を起点に、生育状況や作況、価格予測、品質検査へと機能を拡張し、生産から取引までを一貫して支えるプラットフォームを目指している。生産者はより効率的に栽培でき、企業はより正確な調達が可能となり、バイヤーも安心して取引できる環境の実現を目指している。
衛星を重ねてコストを下げる
技術開発において最初の課題となったのはコストだった。利用できる衛星は、国によって公共衛星から高価な商業衛星までさまざまで、土地情報の整備状況にも大きな差がある。一つの国だけを対象とするのであれば、その国に最適化した予測モデルで対応できる。しかし、世界中の農地を同じ基準で分析するには、標準化されたモデルと低コストの両立が不可欠だった。
チャン代表は、韓国のように地図情報地籍情報が整備されている国では、衛星画像が更新されるたびに地籍情報と照合することで、どこが水田なのか、どの畑で何が育てられているかを把握できると説明する。一方、課題となるのは地籍情報が十分に整備されていない開発途上国だ。照合すべき地籍情報そのものが存在しないため、同じ手法は使えない。そこでB·goodは、衛星画像から土地被覆図を独自に作成する仕組みを採用した。土地を六角形のグリッドに分割することで、国ごとに土地情報の整備状況が異なる場合でも、同一の分析基準でデータを扱える標準化モデルを構築している。
技術開発におけるコストの課題は、衛星の選定を工夫することで克服した。高価な商業衛星に依存すれば、どれほど優れた技術でも実用性は低下してしまう。そこで同社は、複数の無料・公共衛星から取得したデータを組み合わせて分析する「マルチレイヤー」方式を採用した。チャン代表によると、この衛星データの組み合わせ方と予測手法については、すでに特許を出願しているという。
一方で、必要なデータをすべての国で同じように取得できるわけではない。ベトナムのような地域では、地籍情報だけでなく、オンラインで利用できる農業データ自体が限られている。チャン代表は、現地で収集した農家単位のデータの多くが、農家による手書きの作業日誌だったと振り返る。同社はAIによる光学文字認識(OCR)を活用し、こうした手書きの記録を迅速にデジタルデータへ変換している。それでもデジタル化されていない情報については、現地で直接収集・構築する必要がある。AIの性能はデータの質と量に左右されるため、同社はこうしたデータの内製化にも継続的に取り組んでいる。
精度についてチャン代表は、コメの作況予測モデルがベトナムで97.7%、日本で97.3%の精度を記録し、韓国では誤差が0.2%水準だったと明かした。ただし、国ごとに用いたデータや学習手法は異なっており、精度や誤差を算出した具体的な評価基準は公表されていない。チャン代表は、現地データの蓄積が進めば、開発途上国でも予測精度をさらに高められるとの見方を示した。

SnE Companyの農産業・食材直接取引プラットフォーム「B·good」
スマートフォンで糖度を読む実験
生産・流通・取引へと続くバリューチェーンの先には、品質検査の高度化という課題がある。同社は、スマートフォンで撮影した画像とAIを活用し、農産物の糖度を非破壊で推定する技術を開発している。チャン代表は、「スイカを叩かなくても、スマートフォンで糖度を確認できるようにすること」が目標だと説明した。
チャン代表は、この技術の応用先は農業にとどまらないと考えている。建設現場の安全診断や物流など、非破壊検査が活用される分野は多いが、その多くは専用機器を前提としたハードウェア市場として成り立っている。その機能をスマートフォンに集約できれば、市場の中心をハードウェアからソフトウェアへ移せるという考えだ。デジタルカメラやカーナビゲーションがスマートフォンアプリへと置き換わったように、農業分野でも同様の転換を目指していると説明した。
同社の差別化要因について、チャン代表は3点を挙げる。
第1に、単一の機能ではなく、農業バリューチェーン全体をカバーしている点だ。既存のソリューションの多くが、農家管理、作況予測、品質検査、取引プラットフォームのいずれか一つに特化しているのに対し、B·goodは生産データの収集から生育予測、品質診断、価格予測、取引までを一つのプラットフォームでつなぐことを目指している。
第2に、予測データと実際の取引を結び付けている点だ。データを提示するだけでなく、その結果を企業の調達や需給管理、品質検査、輸出入業務へと活用できるよう設計している。
第3に、グローバル展開のしやすさだ。無料の衛星データに加え、気象データや生育データを活用することで導入コストを抑え、対象とする国や作物を柔軟に拡大できるとしている。
ただし、すべての作物に同じモデルをそのまま適用できるわけではない。作物や品種ごとにデータを蓄積し、AIを学習させる必要があり、現在は現地企業や農家と協力しながら、消費者が安心して利用できる水準まで精度を高めている段階だ。チャン代表は、ユーザーの増加に伴ってデータが蓄積されれば、対応できる作物の種類が広がるとともに、予測精度もさらに向上するとの見通しを示した。
チャン代表は、この技術は農業分野にとどまらないと考えている。建設現場の安全診断や物流など、非破壊検査が活用される場面は多いが、その多くは専用機器を前提としたハードウェア市場として成立している。こうした機能をスマートフォンに集約できれば、市場の中心をハードウェアからソフトウェアへと移せるという発想だ。デジタルカメラやカーナビゲーションがスマートフォンアプリに置き換わったように、農業分野でも同様の転換を目指しているという。
差別化要因についてチャン代表は3点を挙げる。第1に、単一機能ではなくバリューチェーン全体を一気通貫でカバーしている点だ。既存のソリューションの多くが農家管理、作況予測、品質検査、取引プラットフォームのいずれか一つに特化しているのに対し、B·goodは生産データの収集から生育予測、品質診断、価格予測、取引までを一つのプラットフォームで統合することを目指している。
第2に、予測と実際の取引を結び付けている点だ。データを提示するだけにとどまらず、その結果が企業の購買や需給管理、品質検収、輸出入といった実務プロセスに直接接続されるよう設計されている。
第3に、グローバルな拡張性である。無料の衛星データに加え、気象データや生育データを活用することで初期コストを抑え、作物や対象国を容易に拡大できる点が特徴だ。
また、日本にもすでに農業データ、スマートファーム、品質検査などに関わる企業は存在するが、「B·goodでなければならない理由は何か」という問いに対し、チャン代表はAIサービスとしての構造的な優位性を強調する。学習済みモデルを複数の顧客や地域で再利用できる点だ。顧客が増えるたびに人員や開発コストが比例して増加する従来型サービスと比べ、追加供給コストを低く抑えられる構造になっていると説明した。
取引で作られた売上、大きくなる技術比重
チャン代表は、累積売上高が約165億ウォン(約17.3億円)規模に達していると述べた。2021年のサービス開始から約5年間の運営のうち、最初の3年間は技術基盤の構築とデータの内製化に集中し、その後は検証と商品化のフェーズへ移行したという。
モデルやソリューションを構築しても、予測精度が即座に向上するわけではなく、学習の蓄積には継続的なデータの蓄積が不可欠となる。そのため、初期の売上はまず農産物の取引を通じて生まれた。
韓国内のB2B流通および貿易が軌道に乗るなかでデータの内製化が進み、直近1〜2年でデータサブスクリプションやSaaS領域からの売上も立ち上がり始めた。現在は売上の約90%が国内外の農産物取引によるもので、約10%がデータサブスクリプションやSaaSといった技術領域から構成されている。チャン代表は、今後は技術由来の売上比率が徐々に高まっていくとの見通しを示した。
海外ではベトナムを拠点に実証を重ね、現地でのSaaSサブスクリプションの事例を構築するとともに、農業関連機関やパートナー企業との連携を進めてきた。韓国国内では農協や地方自治体などと協力しながら展開している。会社は各国の制度や契約条件に応じて原データを活用し、分析プロセスで生成された加工データについては自社の資産として管理していると説明した。
次の展開として日本市場を選んだ理由も同じ文脈にある。高齢化と労働力不足、厳格な品質基準、スマート農業への需要が同時に存在する市場であるためだ。特に近年のコメ需給の不安定化や、韓国と類似した高付加価値の果物品種の存在は、同社の技術を適用しやすい領域だと判断したという。
韓国で果物分野を中心に蓄積してきたデータと品種の類似性は、日本市場への展開可能性を高める要因になっている。コメと果物を軸に日本で実証とパートナーシップを確立することで、開発途上国と先進国の双方で検証されたユースケースを持つことができるという戦略だ。
現在、日本進出は市場検証とパートナーシップ構築の段階にある。会社は伊藤忠商事やベイシアなどと農産物取引の可能性について協議を進めており、SUHOやIT Works Japanなどとは現地顧客との実証機会の発掘を進めていると明かした。
法人設立は急がない方針だ。ベトナムでの展開と同様に、一定の売上規模と事業の確度が見えてきた段階で設立する方がリスクを抑えられると判断しているためだ。それまでは代表事務所や支社、現地パートナーを通じた営業活動を通じて市場を検証していく考えだ。

記者の姿勢が創業者の姿勢に
技術の話の終わりに、彼は人の話へと戻る。どれほど優れたプラットフォームや技術があっても、結局は人の心が動かなければ使われないという考えからだ。だから彼は机に向かう時間以上に、人に会いにいくことを重視する。伝えることこそ、スタートアップに最も欠けている領域だと捉えているためだ。大企業は広告費とネットワークを基盤に事業を拡大できる一方で、スタートアップは常にリソースが限られている。その意味で、グローバルSaaSマーケットプレイス(GSMP)のような政府支援事業は、海外進出の機会を迅速かつ実効的に広げる手段になり得ると彼は見ている。
5年間会社を率いる中で、「潰れかけた」と振り返る局面は何度もあったという。彼は自らの事業を「失敗の連続」と表現する。10回試みてようやく1〜2回成果が出るかどうかであり、結局は試行回数を増やすしかないというのが実感だ。投資、営業、採用、人材流出への対応、組織運営、リスク管理──いずれも容易な領域はない。「ボトルネックはどこかと問われれば、すべてがボトルネックだ」という言葉は、その実感から生まれている。
彼の原則はシンプルだ。「スタートアップは、代表が見えている範囲でしか前に進まない。」だからこそ、自らの視野を広げるために学び続け、他者の声に耳を開くことを重視する。「流されやすい耳ではなく、開かれた耳でなければならない」とも語る。
記者としての経験は、個別のスキルというより姿勢として残っている。取材源の話を最後まで聞き、仮説を立て、答えが出るまで掘り下げる習慣だ。事業の営みもそれと大きくは変わらないと彼は言う。市場の声を聞き、試行錯誤を重ねながら、わずかな成功を積み上げていくプロセスだからだ。
会社のアイデンティティについて尋ねると、彼はデータ企業かSaaS企業かといった分類にはこだわらない。「農業分野に必要なソリューションをすべてAIで支えること」が目標だと語る。それは市場のニーズを捉えながら、解を検証し続ける営みでもある。「世界を変えることは簡単ではない」としつつも、こうした取り組みを積み重ねることで、わずかでも前向きな変化を生み出せるのではないかと考えている。
日本市場は既存サービスへの切り替えに慎重な傾向があり、SnE COMPANYも現時点では現地パートナーを探しながら実証機会を積み上げている段階にある。それでもチャン代表の姿勢は一貫している。「必ず成果を出す覚悟で臨む。結果が出るまで地道に続けるしかない」。人の声に耳を傾けていた記者が、衛星データで土地を見るようになっても、その姿勢は変わらない。
<画像=SnE COMPANYチャン・セフン代表 ©Platum>
