業務領域に自然に入り込んだAI

2026年7月21日、ソウルで一局の囲碁対局が行われました。世界最強とされるシン・ジンソ九段が、囲碁AI「KataGo(カタゴ)」を相手に2勝1敗を収めました。2016年に韓国のイ・セドル九段とGoogleのAI「AlphaGo(アルファゴ)」が対戦してから10年となることを記念した対局でしたが、今回はシン・ジンソがハンデとして2個の石をあらかじめ置いた状態で対局する「置き碁」でした。KataGoの囲碁の実力がAlphaGoと比較にならないほど高くなっているためです。

注目を集めたのは勝敗よりも、シン・ジンソ九段が対局を終えた後に語った言葉でした。「AIを真似するのではなく、自分の碁を打った」というのです。

これは近年の囲碁界で、一般的に見られる姿勢ではありません。現在は、基礎トレーニングの段階からAIが最善手を提示し、それを人間が覚えて真似して打つことが一般的な方法となりました。言い換えれば、AIに近い打ち方をする人が、対人間の対局において1位になれる構造なのです。

囲碁界が10年かけてAIを受け入れる中で経験してきたこうした変化は、囲碁界に限ったものではなく、韓国企業のオフィスでも同様に起きています。業務資料の下書きをAIが作成し、人間が検討するという方法が、わずか2〜3年の間に日常となりました。今回は、韓国の会社員たちのAI活用実態と、それによって新たに開かれつつある市場について見ていきたいと思います。

<出典:donga.com>

生成型AIが業務インフラになってしまった韓国

グローバル会計コンサルティンググループPwC JAPANが今年春、6カ国(日本、米国、英国、ドイツ、韓国、中国)を対象にした比較調査「生成AIに関する6カ国意識調査」を発表しました。日本企業における生成AIの活用率は87%まで上昇しており(韓国は93%)、まだ活用していない、あるいは活用する意思がない企業はわずか4%でした。数字だけを見ると、日本でも企業でのAI活用は、一部のスタートアップだけの話ではなくなっているようです。

しかし、内容を詳しく見ると、少し温度差があります。同調査で、生成AIの業務上の効果について肯定的な回答の割合は、6カ国のうち日本が最も低く、「期待以下」または「まだ評価できない」と回答した割合も最も高くなりました。積極的にAIを導入している一方で、それが実際の生産性につながるという有効性については、比較的慎重に見ているようです。

<出典:Samsung SDS Insight Report>

一方、韓国は導入を超えて、すでにAIが業務現場の日常に溶け込んでいます。サムスンSDSが発表したレポート「国内企業生成AI活用実態」によると、2026年5月時点で、韓国の会社員が、1日の内生成AIを使用する平均時間は約3.25時間に達します。生成AIが単なる業務補助ツールを超え、1日の勤務時間の半分近くをともにする業務インフラとして完全に定着したのです。

生成AIそのものの業務上の有効性を直接示す統計資料は見つかりませんでしたが、単なる文書作成や翻訳だけでなく、データ分析や事業企画、業務自動化システムの開発などにも活用される割合が高いことを考えると、業務領域におけるAI活用への満足度は高いと推測できます。

社員番号の付与から開発自動化まで、限界のない韓国企業

<出典:news.bizwatch.co.kr>

韓国企業の動きは想像以上に速いものとなっています。KB金融は、複数のAIエージェントが開発業務を分担して担当するシステムを作りました。「抵当権に関する法律支援システムを作ってほしい」と依頼すると、7つのエージェントが自らコードを書き、テストを行った後、エラーまで修正する仕組みです。開発者10人以上が1ヶ月以上かけなければならなかった作業が、わずか2週間程度に短縮され、国民銀行の金融相談エージェントは関連業務時間を70.2%も短縮しました。

韓国の通信会社SKテレコムはさらに一歩進み、AIエージェントにも社員番号を付与し、人間のように管理する実験に入りました。韓国の主要大企業がAIを単なるツールではなく、「組織の構成員」として規定したのは、事実上初めてです。サムスンもまた、全グループ会社の業務に外部生成AIを全面導入し、生成AIの活用を加速しています。

こうした変化は、ITや金融業界に限ったものではありません。ある製薬専門誌が業界従事者を調査した結果、経営支援・対外協力など内勤職の回答者82人のうち、69人(84%)が文書作成や確認作業においてAIを使用していました。他にも、ヘルスケア企業のCelltrionは、文書管理システムにAIチャットボットを使用し、書類検索や比較にかかる時間を80〜90%削減しています。別のヘルスケア企業であるHandokは、韓国の製薬会社として初めてMS Copilotを全社的に導入しました。

業務では活用するが、学ぶのは各自で

しかし、この変化のスピードに個人が業務の中でどのように対応しているのかを見ると、少し複雑な状況にあります。グローバル人事プラットフォームのDeelと韓国のビジネスプラットフォーム「Remember」が、韓国国内の一般社員から課長クラスまでの会社員1,000人を対象に調査したところ、有料AIサービスの利用料金を自分で負担していると回答した人が53%に達しました。
一方、会社の教育プログラムで学んでいるという回答は15.8%にとどまり、実務の中で直接試行錯誤しながら独学するという回答が38.8%で最も多くなりました。韓国でよく使われる表現を借りれば、「各自図生(各自が生き残りを図る)」状況なのです。

先程紹介したサムスンSDSのレポートでも、会社が承認したエンタープライズ版を使用している割合(24%)よりも、従業員が個人で費用を負担したり、無料ツールを私的に利用したりする割合(38%)の方がはるかに高くなっています。

会社員の回答者の82.4%は、AIスキルがキャリア成長の核心だと見ており、70%はAIの勉強をやめれば遅れをとる気がすると回答しました。しかし皮肉なことに、64%はむしろ仕事がより複雑になったと訴えています。不安から自分のお金でAIを契約して利用しているものの、社内のガイドラインや教育がないため、検証や修正作業が増え、仕事が楽になったわけではないという意味です。

マイクロソフトが発表した「業務動向指標(Work Trend Index)」でも、同様の傾向が現れました。AI時代に早く適応できなければ取り残されると回答した韓国の回答者は78%(グローバル平均65%)に達した一方、経営陣とAI活用方向性について明確に認識が一致していると考える人の割合は16%(グローバル平均26%)に過ぎませんでした。このレポートでは、従業員と企業の間にある認識のギャップを「変革のパラドックス(Transformation Paradox)」と提議しています。

爆発するAIリスキリング市場

<出典:etnews.com>

会社が業務におけるAI活用の基準を示せず、個人がそれぞれ独学でAIを学ぶ状況が続く中、その間を埋める市場が開かれました。企業向けAIリスキリング市場です。

コスダック上場企業であるDAY1COMPANY(デイワンカンパニー)の実務教育ブランド「FastCampus(ファストキャンパス)」では、2025年に約400件の企業向け出張教育を行いましたが、そのうちAI関連の割合が56.7%を占めました。これは、企業向け出張研修の売上高の51.4%を占めています。すなわち、企業研修の半分がAIになったわけです。

同教育ブランドの資料によると、以前の企業研修ではツールの使い方や教養講座など、一度きりの特別講義が多くありました。しかし最近では、企業内部のデータを直接扱いながら、実務プロセスを構築する長期プログラムへと移行してきました。今や企業教育のスタンダードが、AI中心へと再編されつつあるわけです。そしてそれが数字にも現れています。同社のB2B部門の2025年四半期売上高は、第1四半期22億ウォン、第2四半期36億ウォン、第3四半期52億ウォンと、四半期ごとに増加しました。

<出典:城南産業振興院>

民間だけでなく、今や公共分野でも変化が起こっています。韓国産業人力公団は今年1月から、中小企業向けのカスタマイズ型AI融合課程を2,952件開設し、訓練費の90%以上を支援し始めました。

地域単位での取り組みもあります。京畿道城南市では今年5月末から3週間にわたり、中小企業の在職者を対象とした36時間のAI研修が行われ、参加者81人全員が修了しました。開発者ではなく非開発人材である企画者やマーケティング担当者も、実務ですぐに適用できる内容で研修を構成したことが成功の要因でした。

「会社では、とにかくAIを使えとプレッシャーをかけてくるのに、実際にどのような基準で業務に適用すべきか分からず、途方に暮れていました。」

研修に参加した中小企業の従業員から出たこの発言は、韓国で働く会社員が直面している現実を物語っています。結局、会社が提供できなかった「基準と検証ガイド」を、B2B教育企業や公共機関が代わりに埋めているというわけです。

AIに任せるほど鈍くなるスキル、そして本当のプロたちの選択

会社が基準を示さず、個人が自費と独学でAIを身につけている一方で、業務現場では別の議論が始まりました。AIに判断を委ね続けることで、かえって人間の熟練度が低下する「脱熟練(deskilling)」現象です。

国際学術誌「Nature」は昨年6月、医療とIT現場における脱熟練に関する研究をまとめて紹介しました。大腸内視鏡検査を2,000回以上経験したポーランドの専門医19人に対し、病変を指摘するAIを一部の診療日にのみ使用してもらったところ、AI導入前には28.4%だった腺腫の発見率が、AIに慣れた後にAIなしで行った検査では22.4%まで低下しました。オーストラリアのクイーンズランド大学が2018年に行った研究でも、自動化システムを10年以上使用していた会計士からそのツールを取り上げたところ、基本的な業務処理方法を忘れてしまった事例が確認されました。

注目すべきなのは、そこにかかった時間です。会計士の場合、10年以上かけて起きたことが、医師の場合には3ヶ月で現れました。専門家は、代替された領域が異なることを理由として挙げています。ナビゲーションなしで道を探すことが今や簡単ではなくなったように、生成AIは判断し、解釈するというプロセスそのものを代替するからです。つまり、判断し、解釈する領域こそが、職業上の専門性の核心であるのです。実際、ポーランドの医師たちの腺腫発見率が低下したのも、検査技術を忘れたからではなく、内視鏡の画面を見て病気を疑うという感覚が鈍くなったからだと、統計として現れたのです。

先程のマイクロソフトの業務動向指標の内容を見直すと、スキルが鈍らないように、一部の業務を意図的にAIなしで処理するという回答が、AIを最も熟練して扱うグループでは31%、一般回答者では22%となったことも、同じ脈絡で捉えられます。AIを最もうまく使用できるはずの人たちが、むしろ自分自身の専門性を守るために、AIとの間に一線を引いているのです。

記事の冒頭に登場したシン・ジンソ九段も、AIを避けていたわけではありません。他の記事で報じられているように、練習では他の棋士と同様にAIを使用しながらも、対局の場では判断することを自身の役割として認識しただけなのです。

囲碁界が10年にわたって見つけ出した答えが今、韓国のオフィスで2〜3年のうちに、より大きな議論として語られ始めています。1日3.25時間をAIとともに働く国から生まれた問いだからこそ、その答えが出てくるスピードもおそらく相当な速度となるでしょう。