23年にわたる歴史の終幕

2008年、大韓民国の路上においてホンダ アコードは、単なる移動手段以上の存在でした。当時ホンダは、韓国で初めて輸入車販売1万台を突破し、輸入車市場の主役となっていました。適切な価格と圧倒的な耐久性、スタイリッシュなデザインまで兼ね備え、国産車の無難さに嫌気がさし、ドイツ車の維持費に負担を感じていた当時の韓国中間層にとって、手の届く最も合理的なプレミアムカーの一つでした。
しかし、それから18年後の2026年4月、Honda Koreaは韓国内の四輪車(自動車)販売事業からの撤退を決定しました。2003年の法人設立以来、23年にわたって続けてきた事業に幕を下ろすことになったのです。日本経済新聞(以下、日経)をはじめとする日本メディアでは今回の撤退について、「現代車・起亜が90%以上のシェアを掌握する韓国市場特有の閉鎖性」が原因だと分析しています。韓国メディアでも同様に、「日本車が韓国で敗北した」「販売不振に耐えられず撤退した」といった見方が広がっており、Honda Koreaの事業終了をブランド間の勝敗として解釈する論調も見られます。確かに、表面上の数値だけを見れば、そのような結論に至るのも無理はありません。
韓国は「日本車の墓場」ではありません。

しかし、詳しい数字を見ていくと、その考えは覆されます。日経の主張とは異なり、韓国は決して閉鎖的な市場ではありません。実際、2025年韓国の輸入車登録台数は30万台を突破し、過去最高を記録しました。BMW(7.7万台)とメルセデス・ベンツ(6.8万台)はプレミアム市場を形成しており、Tesla(テスラ)は2026年4月にわずか1ヶ月で1.1万台を売り、輸入車月間販売1位を達成しました。ここにボルボ(1.4万台)や進出初年度に販売台数6,000台を超えた中国の電気自動車(EV)大手BYD(比亜迪)の勢いまで加われば、韓国は閉鎖的な市場ではなく、世界各国の自動車メーカーがしのぎを削る極めて競争の激しい市場だと言えるでしょう。
また、これを日本ブランド全体の危機と捉えるのも適切ではありません。
ホンダがわずか1,500台を販売した同期間に、同じ日本ブランドであるトヨタのLEXUSは合計約2万5,000台を販売したのです。つまり、ホンダの韓国撤退は市場構造の問題ではなく、韓国市場の需要と商品ラインアップのミスマッチ、そして価格戦略上の課題が重なった結果なのです。
内燃機関を捨てたエンジニアの誤算

この背景には、2021年に社長に就任した三部敏宏氏の大胆だが危険な「脱エンジン宣言」があります。生粋のエンジニアとして知られる三部氏は就任後まもなく、「2040年までに内燃機関車の販売を終了する」との方針を打ち出しました。しかし、強みとしてきたハイブリッド(HEV)の競争力を十分に活用しないまま、不慣れな電気自動車(BEV)市場への転換を急いだ代償は決して小さくありませんでした。
世界的な電気自動車需要の減速も重なり、ホンダは創業以来初となる、約6,900億円という最終赤字を計上しました。野心的に始動したSony Honda Mobility(SHM)においても、開発を進めていた電気自動車プロジェクトを中断し、約2.5兆円の会計損失処理を実施するなど、「技術のホンダ」という名が消え失せるほどの厳しい局面に直面しました。
加えて、構造的な限界が決定打となりました。ホンダは、韓国市場向け供給のために米国のオハイオ工場からの輸入に依存していました。韓米FTAによる関税上のメリットを考慮した戦略でしたが、これは皮肉にも円安の恩恵を享受できず、ドル高の影響を全面的に受ける収益構造を抱えることになりました。トヨタのLEXUSは日本の生産分を活用し、円安を追い風に価格競争力と収益性を高めていました。それに対しホンダは、米国生産車への依存により、ウォン安・ドル高が進むたびに収益が圧迫される矛盾した構造に閉じ込められてしまったのです。

さらに、韓国消費者の高い要求水準も障壁となりました。韓国では、自動車は単によく走る機械ではなく、接続された家電であり、走るスマートフォンでもある、各種デジタルサービスと連携する生活空間として定義されています。現代自動車と起亜が自国市場において構築した高度なデジタルUXとサービスエコシステムは、グローバル標準仕様を優先していたホンダにとって大きな障壁となりました。ホンダはこうした韓国市場特有のニーズへの対応で後れを取り、結果として競争上の大きなハンディキャップを抱えることになりました。
ドイツブランドが強力な「ヘリテージ」を前面に押し出し、TeslaとBYDがそれぞれ「ソフトウェアイノベーション」と「圧倒的コスパ」という明確な戦略で市場を揺るがす中、ホンダの選択はやや誠実すぎました。ホンダは本来の強みである「機械的信頼性」と「耐久性」というグローバル標準の価値を維持しつつ勝負しようとしたからです。しかし、これが予想外の非関税障壁として作用してしまったのです。
欧州のステランティスグループが電気自動車事業で数十兆ウォンの赤字を出し、再びハイブリッド車と内燃機関へと舵を切っているように、ホンダもまた電気自動車という技術のロマンを追求するより、現実的な収益性を選択しました。その結果、ホンダがグローバル戦略を立て直す過程において収益性が限界点に達した韓国の四輪車事業は、最優先で整理しなければならない事業となったわけです。
個人的には、ホンダ車の撤退は本当に残念です。米国生産車ではなく、トヨタのように日本生産分を導入していたなら事業を維持できたのではないか、アフィーラプロジェクトが順調に進展していたならホンダの内燃機関車の商品競争力もさらに高まったのではないか、という考えが何度も頭をよぎります。
機械工学の神髄とも呼ばれる自動車産業において、ブランド名の前に「技術」という修飾語がつくブランドは多くありません。しかし、ホンダはそれを成し遂げました。さらに、電気自動車とは異なり、内燃機関車は小規模スタートアップが気軽に挑戦することができない領域だったため、ホンダ自動車の韓国撤退はもちろん、アフィーラプロジェクトの中止もなおさら惜しまれるのです。

ビジネスにおいて「撤退」は最も苦痛な決断ですが、時には未来のために最も賢明な判断になることもあります。電気自動車のモビリティ転換は速度の差こそあれ、逆らうことのできない既定路線であることは明らかだからです。現在、ホンダが経験している大きな痛みは、今後の変化の過程における一時的な成長痛に近いように思えます。そのため、ホンダは韓国内の自動車販売は終了するものの、市場シェア1位を守っている二輪車事業は維持し、今後も四輪車の整備サービスネットワークを継続すると約束しました。
トヨタが中国企業との協業を通じて現地最適化された電気自動車を投入し、突破口を探っているように、ホンダも今回の経験を踏まえ、より柔軟な戦略へと舵を切るものと見られます。韓国市場からの撤退、そして電気自動車開発の見直しは、いずれも、今後ホンダがグローバル市場で次世代の電動化戦略を再構築するための最も強力な土台となるでしょう。
なぜなら「技術のホンダ」と呼ばれてきた同社は、常に失敗を通じて学び、その失敗を技術的革新へと昇華させてきたエンジニア集団だからです。
事業の世界においては、時にはしばらく立ち止まり、靴ひもを結び直すことが最も早く目的地へ辿り着く方法になることもあります。今回の後退が、ホンダという名にふさわしい戦略的撤退となることを、そしていつの日か、進化したホンダが再び韓国市場に挑戦する日が訪れることを期待しています。
